2015年12月11日
【外科病理学の歴史シリーズ Vol 2.】
アルドレッド・スコット・ワルチン Aldred Scott Warthin (1866 − 1931)
その名の通り、ワルチン腫瘍に関する臨床病理学的研究によりその業績が伝えられていますが、実はリンチ症候群に関する最初の記載は彼によるものです。肖像写真からは服装へのこだわりが感じられますが、いつも出入りしていた仕立屋の針子さんと雑談をしていて、『私の親戚は多くが子宮がん*で亡くなっているんです』という話から閃き、地元の病院に残されている彼女の親類全ての診療記録を調べ始めて癌家系の存在を明らかにしました。『癌遺伝学の父(The father of cancer genetics)』といわれている所以です。後に米国ミシガン大学病理学教授に就任。同じく米国クレイトン大学教授であるヘンリー・リンチが、ワルチンによって最初に記載された家系(Family G)の追跡調査を行った結果を1971年に発表したことを契機にこの疾患が広く知られるようになったため、リンチ症候群の名称が定着しました。現在はその原因が MLH1、MSH2、MSH6、PMS などのミスマッチ修復遺伝子の胚細胞系列変異(germline mutation)によって生じることがわかっており、右半結腸において好発する広基性(無茎性)鋸歯状腺腫 Sessile Serrated Adenoma(SSA)を母地として特徴的な形態を示す大腸癌が発生することが知られています。遺伝性非ポリポーシス大腸癌 Hereditary Nonpolyposis Colorectal Cancer(HNPCC)はリンチ症候群の同義語としてしばしば用いられますが、最初に発生する癌(sentinel cancer)が必ずしも大腸癌ではなく、内膜癌であることが少なくないため、最近はリンチ症候群の名称が好んで用いられる傾向があります。
リンチの名前が歴史に残ったかたちですが、私と同じ病理医として、些細な契機から地道な調査活動を開始し、本疾患の存在を初めて明らかにしたワルチンの業績を讃えたいと思います。
* 子宮体癌(内膜癌)であると考えられます。
2015年10月20日
"As is our pathology, So is our practice"
http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0344033813000307
"As is our pathology, So is our practice"
有名な内科医である Sir William Osler の言葉で、病理学の重要性を説く際によく引用されてきました。しかし、この言葉の文脈は殆ど知られておらず、様々な意味に解釈することができます。その疑問に応える論文が Pathology Research and Practice に掲載されています。
Pathology Research and Practice
Volume 209, Issue 4, April 2013, Pages 264–265
http://www.sciencedirect.com/…/article/pii/S0344033813000307
この言葉を世に広めたのは "Surgical Pathology" という8版まで版を重ねた病理診断学の教科書を書いたことで知られる William Boyd ですが、Osler のこの言葉には続きがありました。
オリジナルの文章は
"As is our pathology, so is our practice; the pathologist thinks today, the physician does tomorrow."
となっています。
これは Osler の内科的治療に関する講演録(Br Med J 1909;185-189)に記されていたもので、前後の文章とあわせて直訳すると『合理的な治療の決定は全て疾患の原因に関する概念的枠組みによって決定される』となります。やや難しいこの文章の一部を Boyd は削除して教科書に引用し、実地臨床における病理学の重要性を強調する言葉としました。これを今日的に解釈すると以下のようになることでしょう。
『高度の治療は質の高い臨床検査(病理診断)に基づく病態把握が不可欠である』
2015年10月15日
【外科病理学の歴史シリーズ Vol 1.】
ピエール・ポール・ブローカ Pierre Paul Broca (1824 − 1880)
ブローカはフランスの内科医・外科医でしたが、解剖学者・人類学者としても知られています。その業績はブローカ中枢(運動性言語中枢)の名称にみることができます。彼は 1866 年に若年発生と家系内の乳癌罹患者の集積を特徴とする遺伝性乳癌を初めて記載したことでも知られています。 現在は家族歴が乳癌発生のリスク要因であることが広く知られており、単一遺伝子の特異的変異によって乳癌のリスクが上昇することが明らかとなっています。その程度は遺伝子の浸透度(penetrance)、すなわち遺伝子の形質が実際に発現に至る割合によって異なります。最も危険度が高い群に属する遺伝性乳癌としては BRCA 遺伝子の胚細胞系列変異による発生する遺伝性乳癌卵巣癌 Hereditary Breast and Ovarian Cancer (BOC)の他、Li-Fraumeni 症候群(TP53遺伝子)、Peutz-Jeghers 症候群(STK11/LKB1遺伝子)、Cowden 症候群(PTEN遺伝子)があります。
2015年06月01日
HAARLEM CONSENSUS RECOMMENDATION
2016年春に向けて脳腫瘍のWHO分類の改訂作業が進んでいます。脳腫瘍の領域では分子診断が重視されるようになり、それに伴って病理診断のあり方が大きく変わっていくものと予想されます。その具体的なかたちが国際神経病理学会 International Society of Neuropathology(ISN)が主導して作成された Haarlem Consensus Recommendation に示されています。
このガイドラインでは、病理診断は階層化(layered)され、最終的には遺伝子検索の結果を含む全ての情報を統合した診断(Integrated Diagnosis)が最終診断となります。Oligoastrocytoma は HE 診断名としてはなくなる見込みで、代わりに『Diffuse glioma, NOS』と記載されることになり、1p/19q co-deletion の有無などに関する情報がある場合には Integrated Diagnosis は『Oligodendroglioma, 1p/19q co-deleted, ATRX intact』ないし『Diffuse astrocytoma, 1p/19q non-deleted, ATRX loss of expression』のいずれかになります。
具体的には以下の様なフォーマットで我々病理医は診断することになっていきます。
【報告書サンプル】
INTEGRATED DIAGNOSIS OLIGODENDROGLIOMA
WHO GRADE II
MITOTIC COUNT (PHH3):3/10HPF
KI-67:2.3%
IDH STATUS (IHC): POSITIVE
p53 STATUS (IHC): NEGATIVE
ATRX STATUS (IHC): POSITIVE (INTACT)
1p/19q CO-DELETION (FISH): POSITIVE
参考文献
Louis DN et al. International society of neuropathology-Haarlem consensus guideline for nervous system tumor classification and grading. Brain Pathology 2014; 24: 429-435
http://onlinelibrary.wiley.com/…/abstract;jsessionid=7E4B1F…
2015年04月30日
北米病理学会(United State and Canadian Academy of Pathology)
国際乳腺病理学会(International Society of Breast Pathology Companion Meeting)コンパニオン・ミーティング
(2015年3月21日~27日、ボストン)
乳腺部分切除組織の断端評価と取り扱い(追加切除の推奨など)に関して、病理医、乳腺外科医、放射線科医が SSO-ASTRO(Society of Surgical Oncology–American Society for Radiation Oncology)のコンセンサスを踏まえて議論しました。
腫瘍細胞がインクの塗布された断端に露出していない限り切除断端は『断端陰性』であると解釈するのが一般的ですが(断端と腫瘍の距離が1 mm、2 mm、5 mm以上離れていることを陰性と判断する基準とした場合、局所再発リスクが異なるというエビデンスがないことがその根拠となっています)、腫瘍と断端との距離が 1 mm 未満で、(1)トリプルネガティブ乳癌である場合、(2)浸潤性小葉癌である場合、(3)患者が若年である場合、(4)広範にDCISが存在している場合、(5)画像上の腫瘍の広がりと組織像が乖離している場合、などは追加切除を考慮してよい、というのが結論でした。病理医は追加切除の推奨について報告書に記す必要は必ずしもありませんが、それを判断するための情報を十分に盛り込むことが重要です。
参考文献
http://www.archivesofpathology.org/…/10.5…/arpa.2014-0384-ED